序章 歴史街道いづみ路の歴史と文化


山城地域は京都府の南部地域に位置し、旧国名「山城国」のうち、現在の京都市を除く地域を慣用的に呼びます。
さらに、南山城地域とは、木津川市、精華町、和束町、笠置町、南山城村を指します。
この地域の素晴らしさは、縄文時代から現代までの素晴らしい歴史文化遺産が存在するところです。
そして、木津川(いづみ路)の流れを中心に世界遺産として登録するべき世界に誇る歴史文化財の宝庫でもあります。
この『京都ゆうゆう歴史街道いづみ路』が端緒となって行政区の壁を乗り越えて一致団結して世界遺産登録に立ち向かわれることを念じています。
今回はこれらの優れた歴史文化遺産の中から12か所を選んで記述させていただきました。
京都府山城広域振興局が作成された山城歴史年表をひも解くと、山城地域の縄文時代の姿が浮かび上がってきます。
照葉樹林が広がり、木津川やその周りの沼が多いこの地域では、人々は木々の実や魚、鳥獣を糧に暮らしていました。
木津川市加茂町にある例幣遺跡や下流の城陽市の森山遺跡からは、石器、土器などが出土しています。
椿井大塚山古墳(木津川市山城町)は、三世紀後半の前方後円墳で京都大学文学部考古学研究室が貴重な出土品の三角縁神獣鏡についての研究成果を詳細にまとめられた博物館図録(椿井大塚山古墳と三角縁神獣鏡)として発行されています。
弥生時代になると瀬戸内海、大阪湾を経由して淀川、木津川を遡上した人々が、ムラを形作っていきます。
木津川市の城山遺跡や京田辺市の天神山遺跡などのように水田部から離れた丘陵部に多くのムラが誕生しました。
特に木津川を望む丘陵には、数多くの集落が並び立ちました。
古墳時代(3世紀)には、大和王権と関わりの深い椿井大塚山古墳(木津川市山城町)や久津川車塚古墳(城陽市)など大規模な前方後円墳が築かれました。
椿井大塚山古墳では、日本では最高の32面以上の三角縁神獣鏡が出土しました。卑弥呼の時代の大きなロマンを感じることができます。

飛鳥・奈良時代
6世紀半ばに、日本に仏教が伝来し、山城地域にも高麗寺(木津川市山城町)、里廃寺(精華町)などをはじめ、たくさんの寺院が建立されました。また、山城地域は、大和から東山道・山陽道・山陰道・北陸道方面への重要な交通の要所として、また、淀川・木津川と郡をつなぐ地として栄え、和同開珎を鋳造するための鋳銭司(木津川市加茂町)などが建設されました。
恭仁京(木津川市加茂町)が王城の地として栄えたこともあります。
神童寺は推古天皇四年(596)に聖徳太子が開創し、千手観音を本尊として、大観世音教寺と号した、と伝わります。数多くの重要文化財を有しています。また、蟹満寺は白鳳時代末期に国家かそれに準ずる豪族によって建てられたと考えられていて、国宝の釈迦如来坐像(像高2.403m、重さ2tの金銅製)を有しています。

大智寺は、鎌倉時代かつて行基の架けたいわれる泉橋の橋柱をもって文殊菩薩像を刻み、西大寺慈真和尚を開基として橋柱寺と称する一寺を建立されたのが始まりです。
弥勒信仰の笠置山寺(笠置町)、は、天智天皇の第三皇子の川島皇子(657年生)が天武天皇の信任を得て、天武天皇が仏教寺院の整備を進める中で川島皇子の献言によって、帰化人伝来の技術力をもって弥勒像を彫顕し、笠置山寺を白鳳11年(682)草創されたのです。
笠置山寺の本尊・弥勒磨崖仏(日本最古最大級)が幾度かの戦火で尊像が消失して強大な光背のみを残すだけになっていましたが、精華町の合資会社 文化財復元センター様のご尽力によりデジタル画像として復元され笠置寺本堂に安置されています。

笠置の山峡が急にひらけて、木津川の流れもゆるやかになったあたり、甕に似た地形によって、瓶原と呼ばれたというこの地に奈良時代のはじめ、元明天皇が離宮を設けた所といわれています。ついで聖武天皇が橘諸兄に命じて大養徳宮恭仁大宮を造られたのですが、故あって近江の紫香楽宮に遷されることになり、恭仁京の造営は半ばにして止められたのであります。
それが、恭仁京跡として今に残っています。
また、全国に国分寺を設けよとの詔を下され、この恭仁京跡にも国分寺が建てられました。

こうした由緒ある瓶原を一望におさめる海住山の中腹、幽邃の地に、海住山寺が創建されたのは、恭仁京造宮に先立つ六年前、天平七年(735)のことと伝えられております。
大盧舎那仏造立を発願あそばれた聖武天皇が、その工事の平安を祈るため、良弁僧正に勅して一宇を建てさせ、十一面観音菩薩を安置して、藤尾山観音寺と名づけたのに始まるということです。
その後、七十余年を経た承元二年(1208)十一月、笠置山寺におられた解脱上人貞慶が思うところあってこの観音寺の廃址に移り住み、草庵をいとなんで補陀洛山海住山寺と名づけ、旧寺を中興されて、ここに現在の寺基が定められたのでありました。

国宝(鎌倉時代) 五重塔 重要文化財 十一面観音像(本尊)・十一面観音像(奥の院本尊)・四天王像・文殊堂、絹本著色法華曼荼羅図、海住山寺文書など。
現光寺は、海住山寺からみて南東約3km、木津川市加茂町大字北にある小さな寺院で、海住山寺が管理しています。
その詳しい由緒は明らかでありませんが、元禄10年(1697)に再興された時、海住山寺縁起絵巻の詞書撰者である真敬法親王(興福寺一乗院門跡)が落成を賀したこと、正徳2年(1712)に貞慶上人の五百年忌に際して海住山寺の本堂開帳が行われた時、現光寺の住僧が参詣したことなどは、海住山寺とのつながりのもとで歩んできた歴史を物語っています。
平安時代になると、観音信仰の海住山寺(木津川市加茂町)や阿弥陀信仰の浄瑠璃寺(木津川市加茂町)などが信仰を集めました。

阿弥陀信仰の浄瑠璃寺は国宝の阿弥陀如来像を九体も安置しています。(別名九体寺の由来)
さらに、国宝・木造四天王像、国宝・三重塔。

重要文化財に至っては、厨子入木造吉祥天立像、木造地蔵菩薩立像(像高157.6cm)、木造地蔵菩薩立像(像高97.0cm)、木造馬頭観音立像、木造薬師如来坐像 – 三重塔本尊、三重塔初重壁画 16面、石灯籠 2基 – 南北朝時代、浄瑠璃寺流記事(附:浄瑠璃寺縁起)- 南北朝時代などがあります。また、【特別名勝・史跡】として「浄瑠璃寺庭園」があります

浄瑠璃寺の近くには「岩船寺」があり、奈良時代、聖武天皇の発願により行基が鳴川の地に建立した阿弥陀堂がその前身であるといわれていて、創建年次については天平元年(729年)もしくは天平勝宝元年(749年)であるようです。
鳴川にはその後、空海(弘法大師)が善根寺(鳴河寺)を建立し、空海の甥であり弟子でもあった智泉が、嵯峨天皇の皇子誕生を祈願して、善根寺の東禅院灌頂堂に報恩院を建立したといわれています。その報恩院を弘安2年(1279年)に現在地に移し、同8年(1285年)に落慶供養を行ったのが岩船寺です。
重要文化財の三重塔、十三重石塔、五輪塔、石室、木造阿弥陀如来坐像、厨子入木造普賢菩薩騎象像。境内の裏山の白山神社本殿、などを有しています。

鎌倉時代から室町時代にかけて、加茂町当尾に代表されるたくさんの石造仏が造られました。
たかの坊地蔵、やぶの中三尊、阿弥陀地蔵磨崖仏、岩船寺境内石仏、笑い仏、大門仏谷如来形大磨崖仏、首切り地蔵、あたご灯篭、弥勒磨崖仏、水飲み地蔵、クワ地蔵などがあります。



室町時代には、南北朝の内乱のきっかけとなった元弘の乱では南山城地域は戦場となり、笠置山寺を焼失させ、貴重な摩崖仏は消失しました。
その中から国人と呼ばれる村に住む武士が台頭し、勢力を伸ばしました。
15世紀後半の応仁・文明の乱は再び山城地域を戦場としましたが、 国人を中心に結束した人々は、軍勢を追い出し地域の自治を行いました。
これがいわゆる山城国一揆です。
江戸時代には、山城地域は豊かな農村地帯となり、木津川水運を利用して、年貢米、木柴・薪・炭、柿渋などを伏見・京都に積み出し、肥料・塩・しょう油など必需品を運び上げました。
また、「京都ゆうゆう宇治田原読本」でも紹介させていただきました「永谷宗円による煎茶製法の改良」によって、山城地域を中心とした地域で作られるお茶は、「宇治茶」と呼ばれ、全国にその名を知られるようになりました。
山城地域は、気象・土壌・地形などの自然条件が、お茶の栽培に適合しており、それぞれの地域性を生かして煎茶・かぶせ茶・玉露・碾茶など各種の茶生産が行われています。
木津川の源流地域とも言われる南山城村(みなみやましろむら)は、京都府相楽郡にある村で、京都府唯一の村となっている。

南山城村には、国道163号線から、恋路橋を渡り、昔から子授けの神として、また婦人病を除く神として信仰されており、後醍醐天皇の寵姫が祀られている戀志谷神社、毎年11月3日に行われる京都府指定無形民俗文化財【田山花踊り】が奉納される諏訪神社

そしてその近くには、多くの石仏・子安地蔵・如意輪観音、茶屋出地蔵立像石仏(室町中期の造)、だんだ坂の二尊磨崖石仏、華将寺跡磨崖仏碑、高尾の佛谷・不動明王磨崖仏があります。
また、北大河原には「阿弥陀六地蔵磨崖仏(隠れ地蔵)、野殿には、旧道磨崖仏、野殿・福常寺千体佛、野殿・六所神社、中山峠-石仏などがあなた様のお越しをお待ち申し上げています。

福常寺千体佛

華将寺跡磨崖仏碑

最近の話題は道の駅「お茶の京都 みなみやましろ村」です。
京都でたったひとつの村、南山城村。山に囲まれ、中央に木津川が流れる自然豊かなところ。
三重・奈良・滋賀に隣接し、多様な文化が入り混じっています。その中で村人がせっせと生活を営み続けてきた結果、産まれたものがあります。それを「村のダイジェスト版」として発表する場が道の駅です。山一面に広がる茶畑。米・野菜・保存食を自給自足してきた生きる知恵。家族のためにつくってきたごはん。どれも自然の恩恵を受けてつくりあげてきた、村人の知恵と想いが詰まった「確かにこの土地で産まれたもの」です。私たちはこれらを「つち(土)のうぶ(産)」と銘打ち、こだわりの品をそろえる、わざわざ来ていただけるような道の駅にしていきます。「茶どころなのでやはり、この道の駅の見どころはお茶。品物はお茶を中心に地域の農産物を揃え、名前も『お茶』『京都』『南山城村』というのがパッと伝わるように『村茶』という名前の地域ブランドを作り、隠れたお茶の里をアピールしています。」