京都ゆうゆう歴史街道いづみ路読本 蟹満寺

蟹満寺は、普門山と号し、かつては「紙幡寺」「加波多寺」とも言われました。
白凰期の末期(690年代)に、秦氏によって建立されたと伝えられています。
寺の名前は蟹幡(かむはた)郷という美称である「神(カム)」と織物を意味する「幡(ハタ)」からなる地名に由来し、この地は古代には渡来系民族で織物にたずさわる人が多く住んでいたようで、白鳳時代末期に国家かそれに準ずる豪族によって建てられたと考えられています。

白鳳時代の御本尊と静かに対面できます
蟹満寺の御本尊は「釈迦如来坐像(国宝)」。
像高2.4メートル、重さ2.2トンの金銅製の巨大仏で、この時代の丈六サイズの金銅仏となると、飛鳥寺の飛鳥大仏、興福寺の仏頭、薬師寺の薬師如来坐像などが残るのみというのですから、本当に貴重なものです。

この時代のここまで立派な仏さまが、当時の中央だった奈良の都から離れた土地に祀られていたというのは、とても不思議な話です。
このため、以前より他で祀られていたものが、いつからか蟹満寺に移されたという説も出されていたとか。しかし、本堂の改修に伴う調査から、創建以来ずっと不動だったことが判明したそうです。

こんな大きく重い仏像は、何かあっても外へ持ち出せません。
よく見れば修復跡も見られますが、白鳳時代から大きな戦禍に巻き込まれたりせずに、この時代まで残ってくれたものだと感心してしまいました。
全体から受ける印象は、温雅荘重というような月並みな言葉ではあらわせない端正であるといえるでしょう。衣紋の襞は繁褥ではありません。
羅衣を透して豊満なる肉体が、ほのかな体臭を匂わせるかに見えて余裕綽綽たるものである。儀軌に捕らわれず作者は自由な幻想に基づいてこの尊姿を造り上げた、確かに唐初の遺風を存するもので白鳳とまでは言えないが天平前期の遺品中では屈指の作風である。
そのお姿は初期の金銅仏らしく、目は杏仁型に近く、全体的にのっぺりと感じます。
薄い衣を身にまとい、胸部のふくらみも豊かで大きい堂々とした体躯ながらも、ウエストのくびれが目立ちます。
ゆったりとした結跏趺坐で、本当に堂々としていらっしゃいます。
また、螺髪(らほつ)も白毫(びゃくごう)も見られず、より人間に近いお姿ですが、指の間の縵網相(まんもうそう。水かき)が立派なのが目立ちます。

雰囲気としては、やはり飛鳥寺の飛鳥大仏に近いでしょうか。
同じ金銅仏でも薬師寺の薬師如来像よりもふくよかで、素朴さを感じます。
飛鳥大仏は、修復を重ねてそれほど原型をとどめていないとされるのに対して、蟹満寺の御本尊は修復も目立たず、白鳳時代のほぼそのままです。
観光地から遠く離れた場所にあるため、観光客も多くありませんから、そんな方とほぼ一対一で対座できるチャンスも多いでしょう。お会いしておきたい仏さまですね!
住所 〒619-0201 木津川市山城町綺田浜36
最寄駅 JR奈良線「棚倉」駅下車徒歩約20分
または、コミュニティーバス山城線蟹満寺口
下車徒歩約5分  駐車場 無料
参拝時間 8:00~16:00
料金 500円(一般/30人以上450円)・450円(高校生)・200円(小・中学生)
問い合わせ 電話番号:0774-86-2577
蟹満寺由来
昔、この里に慈悲深い夫婦と、その一人娘が住んでいました。娘は信仰の心が深く、毎日毎夜観音経の普門品を読誦して観世音菩薩の利生に合掌していました。
ある日、外出した娘は村童が蟹を捕らえて虐めているのを見ました。
娘は見るに堪えず、放すことを勧めましたが童は応ずるはずもなく多少の金銭を与えて買い取って草叢の中に逃がしてやりました。
また、娘の父はいつものように田圃に出て農耕をしていました。藪から出た蛇が蝦蟇をくわえ今にも飲み込もうとしているのを見ました。
蝦蟇は悲鳴を上げて危難を逃れようとする。
娘の父は、蝦蟇を助けたい一心で、蛇に対して「もしその蝦蟇を放してくれたら娘の婿にしよう」と言ってしまいます。
すると蛇は蝦蟇を放し、姿を消します。
蝦蟇の命を救った悦びを味わう暇もなく
父は大きな不安が沸き上がってくるのを恐れていました。鍬を持つ勇気もなく悄然として家に帰りました。妻と娘はあまりにも元気のない、そのさまを見てその訳を尋ねました。田圃で起こった事件を語りその後に起こるであろう不祥事を思い、蛇の執念の恐ろしさを悔いている自分を悲しんでいました。これを聞いた娘は自室に閉じこもり観世音菩薩の救済を信じ普門品を読誦し続けました。その夜、衣冠をつけた若人が門前に現れ、昼間の約束を迫ってきました。
嫁入り支度を言い訳に、三日後に改めて来るようにと男を帰しましたが、その日が来ても約束を守れません。違約を詰って絶叫する若人は、たちまちにして本性を現して蛇体となり家の周囲を巻き始め、隙あらば、潜入せんとその眼光は瞋恚の焔のように、その尻尾は怒りに任せて雨戸を打ち、九仞の底まで響く狂気の沙汰と暴れ始めました。娘がひたすら観音経を唱えていると、大慈大悲の観世音菩薩が髣髴として眼前に示現され「決して恐れることなかれ、平素の善行は、今やその報いが来るであろう。娘はよく我を信じ我を念ずる観音力はこの危難を除くべし」と告げ姿を消しました。
突如、暴音は消え、荒れ狂う絶叫は滅し静寂が訪れました。夜が明けて戸外へ出てみると、ハサミで寸々に切られた大蛇と、無数の蟹の死骸が残されていたのです。親子は観世音菩薩のご守護に感謝し、娘の身代わりとなったたくさんの蟹と蛇の霊を弔うためにお堂を建て、聖観世音さまを祀りました。